痛みの表現

選手にもいろいろいる。
これは、当たり前である。
我々の仕事は、この個性をある程度理解しないと仕事ができない。

先日、こんなことがあった。
ある選手が、踵が痛いとドクターに言って来た。
それに対して、ドクターは、診察し、この程度なら、練習すべきと判断し、選手も練習の準備を始めた。
そしたら、私の同僚が、私のところにやって来て、「ENDO 聞いてくれ!全くドクターは分かっていない」というのである。詳しく聞いてみると、 「この選手は、普段めったに痛いと言わないのに、痛いと言って来たのだから 本当に痛いのだ! 他覚的にネガティブでも 練習させない方が良いと思う。ENDOどう思う?」と言ってきたのである。

私は、「俺もそう思うから、この選手に俺から言ってみるよ」と言って 私は、この選手に「痛いんだったら、練習しても全く意味がないし、30歳過ぎているんだから 今から練習しても 上手くならないのはわかるだろ」と言ったが、結局、練習して、その踵は、腫れてしまい、それから2週間も練習を休むことになってしまった。

そうかと思えば、この例と全く違う例にも出くわすことがある。
練習直前に来て、脚を引きずりながら「今日は、脚が痛くて 練習できない。」と自分で判断し、ドクターの診断を受けたが、問題ないと言われたにも関わらず、練習をやろうともしないのである。

私は、この両者に優劣を付ける気は全くない。
なぜなら、この両者は、自分なりに理解し、主張をし、行動しているのである。
我々が、この主張をどう理解するかが重要である。それが、良い治療家か、悪い治療家の違いになってしまうのではないだろうか。
人それぞれ痛みの閾値が違うのは、分かっているが、それ以上にその選手の性格、考え方が、その痛みの表現を左右するのだろうと思う。

だから、もし、前者のような選手が、痛いと言ってきたら、踵が痛かろうと何であろうと、それは、練習をしたいけど出来ないという信号であり、それを我々は、受け取るキャパシティーを持っていなければならないと思う。

選手の身体の勉強より、心理を勉強する方が重要であるということが、この年になってようやく分かってきた。ちょっと遅いかもしれないが、分からないより、ましだろう。

これが世間で言う 遊びがあるか無いかの違いなのだろう。もっと遊ばなければ!




photo;最近 毎日書いているので それに合わせて貼れる写真がありません。

コメント

  1. アメリカだと医者になるには必ず心理学を専攻しなければならないそうで
    怪我や病気を理解する上でも必要なことなのでしょうね。

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  2. そうだねー、人と接する職業では「遊び」とか「余裕」って大切だよね。
    真面目や正直だけでもいけないし、その人によって言葉や口調も変える必要もあったりね。
    叱るのにも、いろいろなことを考えないといけないしね。
    こういうことがすっと出てくるようになると一人前なのかな?
    そう言う意味ではオレはまだまだ修行が足りないね!

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