立つ鳥跡を濁さず と言うけれど

あと 2ヶ月を切りました。
皆さんご無沙汰しております。ここ数日、ディナモキエフの選手が、友人の診療所に来ていて治療をしたり、体調は花粉症で最悪の中、ようやく、ブログにたどり着きました。(自分としてはうまい言い訳と思っています)

ところで、「立つ鳥跡を濁さず」という言葉がありますが、最近、この言葉の本当の意味は何なのか考えるようになりました。

「立ち去る者は、見苦しくないようきれいに始末をしていくべきという戒め。また、引き際は美しくあるべきだということ」です。そう辞書に書いてあります。

私も両親から良く言われた諺ですので、憶えています。

しかし、よくよく考えてみると、逆に「立つ鳥」だからこそ、出来る事、言えること、もっと大げさに言えば、捨て身でなければ出来ないことが、出来る、言えるのが「立つ鳥」の立場ではないのかなと思うようになったのです。

我々のような毎年契約更新する者にとっては、職場をより清らかに(正しく)しようとして、組織内を一度濁したりしたら、それで終わりになってしまうので 何もできないのです。
そうなると要領の良い者が幅を利かせて、まじめな者がバカを見る的な状況になり、良い職場環境ではなくなり、それは、チームの成績にも反映してしまいます。

では、単純により良くすれば良いのに、なぜかしない、できないというような理不尽なことは、世の中には、沢山あります。また、その理不尽なことが嫌ならば、その組織から出て行けば良いのであり、我慢できるなら、留まれば良い。ただそれだけなんでしょう。
これは、どこの世界でも同じで、その当事者である本人が決めれば良いことなのです。

しかし、16年も居たからこそ、「雨降って地固まる」という諺があるように、私がその雨になることができるのではないかと思うのです。

そうすることが本当の意味での「立つ鳥跡を濁さず」という諺の、「去っていく者」、つまり「立つ鳥」の役目ような気がします。

まあ、このようにも思いましたが、これから先、何でミランに世話になるか分からないし、これはこうあるべきと真実を追及することよりも、何も言わず、そっと出ていく方がこの先も得だろうという結論にはなりました!

もし、私が大物だったら、ここで何かするのでしょう。しかし、私は小物ですから、16年も過ごしてきた場所で、見苦しくない形で 立ち去る方がどう見ても良いのでしょう。

そこで、このような思ったけどできなかったを中心に、私の16年間のミランで得た教訓をまとめた本が出版されます。

小松さんが書いてくださった遠藤友則の半世紀を記してくれた「ミランの手」と、今度は、私が見たミランを記した本「一流の逆境力」が出版されます。



この2冊が私の16年間のイタリア生活の様子、考えたこと、感じたことすべてが分かります。ぜひ、お読みください。

最後は本の宣伝でした!

「ミランの手」                                       「一流の逆境力」

コメント

  1. いつもブログ楽しく読ませていただいております。「ミランの手」買いましたよ!読みましたよ!そして今日(4/16)「一流の逆境力」も買いに行く予定です。そういえば、以前、日本のテレビ番組で日曜日の朝に「僕らの時代」という3人の人物が対談?(おしゃべり?)する番組で、「三浦和良、中田英寿、前園真聖」が出演していました。その中で、カズの専属トレーナーの話になり、3人とも日本人のトレーナーは優秀だといってました。ヒデにいたっては、下手したら日本人のサッカー選手より日本人トレーナーのほうが海外で仕事したほうがいいといってたくらいですから。なかなか興味深いですね。これからもブログ楽しみにしてます。

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  2. 毎回楽しみにしています。まず、「一流の逆境力」読みました。私はまだまだ拙い同業者ですが、読んでとても力になりました。もう一冊も読みたいと思っています。帰国されたらぜひ一度、お会いしたいです。
    これからも頑張ってください!

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