グループ意識と国民性
22日からシーズンが始まる。今シーズンは、今までと違っている。
まずは、監督が ancelottiからleonaldoに変わったことだ。それから 我々医療グループのメンバーもかなり変わった。
外国人は、何かを始める時、グループを強調する。「我々は、仲間だから!力を合わせてがんばろう」と度あるごとにグループを強調する。カッコよく言うと「チームのためにすべての力を」(高校時代のサッカー部の横幕にあった)と言ったところだろう。
高校時代には、この言葉にあまりピンとこなかったが、外人と働くようになってこの言葉がいやに気になるようになった。
私にとっては、この言葉の内容は、当たり前であり、口に出すまでのことではないぐらい思っていた。
また、日本の戦後の教育の中で育ってしまった私には、外国人の言う個性が強いと日本で言うそれとはかなりの差があることを知らなかった。外国では、同じ目標を持った人間が集まっても私から見たらかなり利己的な人間が当たり前のようにいるし、彼ら自身は、自分がとても協調性のある人間である位に思っていることもしばしばある。
したがって、同じ目標を持った人間が集まる時は、この言葉「チームのためにすべての力を」を口に出し、確認し会い、同じ目標に向かうことを意識しあうことが 重要になってくるようだ。
Jリーグが出来て間もないころ、清水エスパルスにエメルソンレオンという監督が就任し、最初に指摘したことは、すべての選手の練習着をなぜ統一しないのかということだった。当時は、オフィシャルスポンサーの練習着であればそんなに問題はないのではぐらいに思っていたし、私からして見てもそんなに大事なことではなかったように思った。
しかし、グループの一員であることを確認し会うため、練習着をはじめ遠征バック、ホテルでの服装も同じ物を着用させるは、スポンサーに対してだけではなく、グループの一員であることを強調し、意識させるために必要なことでもあるのだ。
また、個性的な人間の集まりのグループの中には、当然してはいけないこと、グループの一員であれば、誰もがしたいけど我慢していること等がある。そんな中で、自分だけは許可してほしいということを平気で言い、その上、聞くのは悪いことではないからと主張する者もいる。
聞くこと自体は確かに悪くはないが、それは 暗黙の了解事項であり、皆我慢していることなのだ。ということが全く分からないのである。
しかし、こういう者は、みんなと観点が違うから誰もが出来るはずがないと思っていることを簡単にやり遂げてしまうこともあるし、全く異なった発想でやり遂げてしまう。
良い意味でも悪い意味でも日本人の世界では経験出来ないであろうことに出くわす。
お互いに口に出し、確認し会うことをしなければ、グループを維持できないほどいい加減な人間がいつも数名いるのだ。そして そのいい加減と思われた人間が、たまに素晴らしい仕事をする。
素晴らしいグループ、強いグループは、個性的な人間の集団だ。同じような人間の集まりでは、サッカーは勝てない。真面目な選手、いい加減な選手、幼稚な選手等さまざまが個性を持ち、それが強ければ強いほど、また、そのグループがまとまればまとまるほど強いグループになる。
その個性的な人間を心から理解し、認め、短所には眼をつぶる。それが出来ないとレベルの高い集団では、日本人(日本の教育を受けた人間)は、生きていけないのだろう。
「日本と文化が違うから」とか「外国は教育レベルが低い」とか嘆いていても仕方がない。楽しく生きていくには、すべてにポジティブな発想が必要だ。それが頭でわかるまでに10年もかかった。
今度は、あと何年かかって「これが当たり前」となり、今、「いい加減な人間」と見えているのが「素晴らしい人間」だと心底思えるようになるのどろうか。
釈迦とか、キリストの境地に辿りつかないと出来るものではないとか思う。
明日は、勝つことに集中する、それが すべてと思えば、結構すんなりキリストの境地に達するのかも!
ポジティブ!ポジティブ! これで行こう!
Photo;個性的なプレーヤーのINZAGHI選手と一緒
自分の意見を言うのが当り前・・・それが欧米の考え方だと思います。
返信削除そしてその中から力を合わせることができているように思います。
日本人の問題ははっきり自分の考えを持たないことなのではないかと思います。
チームや仕事のためなら皆で決めたことはきちんと守る
その代わり決める前にはきちんと自分の意見を述べる
そのようなことがうまくできていないところが
スポーツに限らず社会性にも表れている気がします。
でもこれも海外で生活して日本を外から見る機会が与えられたので
分かったことで
自分自身、日本にいたら分からなかったのではないかと思います。
yoko様いつもコメントありがとう。
返信削除相手が何を考えているかを考える前に自分を主張すること。これは、良いことかどうか分かりませんが、実に強烈に生活で感じることです。
まさに 「自分があって組織がある。」という考え。それに対し、日本人の「組織あってこそ個人がある。」
どちらも重要です。
我家の子供には、両方を持ってほしいものです。