ブルータス お前もか
今日は、練習の最後に医療部のミーティングがあり、ドクターが来年の契約をしないことが分かった。
要するに首である。
ということは、来シーズンは、新しいドクターになるというわけで、ということは、一昨年に続いて我々のメンバーの入れ替えが大幅に行われるということである。
明後日からアメリカ遠征で6月4日に帰国、そして、オフとなり、7月20日から来シーズンが始まる。
毎年の事ながら嫌な感じである。
チームの調子が良い時は、問題なく「また来年会いましょう」で良かったが、調子が悪いシーズンでは、まず最初にやり玉に挙げられるのが 医療部であり、ドクターが責任を取らされるのだ。
しかし、私から言わせれば、怪我人の問題は、医療部の責任より、フィジカルの問題の方が遥かに問題視されるべきであるように思うが、そう思うのは、一部の人間だけなのかもしれない。
この10年で3人のドクターが変わることになった。これは、正常なことではない。すべては、サッカーを知らないボスが、周りの入れ知恵から判断する結果からなのだろう。
「男は黙ってサッポロビールの時代」ではないというのが、世界共通となって来ているのだろうか。
なんでこんな男の事を信用するのか、鵜呑みにするのかと思うような人を首脳陣は信用し、その思想で采配する。
しかし、こう思うのは、愚者の泣き言(こんな言い回しはしないなのだろうが)であると分かっているが、なぜか 気分が晴れない。どんな世界でもどんな業種でもこんなことがあるのだろうが、結果としてだれかが敗れて去って行くことになる。敗れて去って行くという表現は、正しいことではないのかもしれない。むしろ、正義の世界に進んでいくと言った方が良いのかもしれない。
このように私が感じていることは、世の中では、序の口なのかもしれない。多分、政治の世界は、もっと凄いんだろうと思う。
高校時代の世界史の先生で桐山という先生がいたが、本当に立派な先生で、良く喋った(説明した)先生だった。この先生が言った事はほとんど憶えていないが、「ブルータス お前もか」だけは、なぜか印象に残っている。最近、そのシーンによく出くわすような気がする。
もし、日本にいても同じなのかもしれないが、自分の信念など持たずして、いつも軽い気持ちで、「勝負はしない」、「負ける戦は絶対しない」、「人を信用しない」、「風になびく柳のように」これが、生きていくには重要なようだ。
しかし、それでは あまりにもさびしいし、さびしすぎる。
私は、「ブルータス お前もか」を聞く立場ではなく、言う立場で、イタリア生活を締めくくりたい。
桐山先生・・・うちのすぐ近所に住んでたんですよ!
返信削除ある部分、最近の日本の政治みたいに誰かが責任を取らなければいけないようですね。改善策の発見よりも、スケープゴート探しが大事。
返信削除引かない、続ける事も責任の取り方だと思うのですが…なかなかお目にかからない。
最終的に頑張るのは選手。でも高級と契約で優遇されている選手に責任はとらせづらい。でも監督やスタッフは替えが効くと思っているのは良くない傾向です。継続性が組織の強さではないのであろうか?