1つのプレー

土曜の初戦は、2-0からひっくり返されて敗戦となっってしまいましたが、やはりNAPOLIは格が違うと感じました。皆さんはどう感じたでしょうか?

格が違うと言ってもそれは選手個々の技術でも戦術でもありません。むしろ自信というか、心の持ちようが違うと感じました。

我々は、チャレンジャーだと思ってプレーしている場合と、自信を持ってプレーしている場合とでは、チーム全体の雰囲気が違います。

ミランは、挑戦者的な精神で試合に臨み、押されていながらも自分たちが2点のリードを得てしまったのでこれからどうすべきか迷ってしまったのかもしれません。そんな風に感じました。

逆にナポリは、自信というか自分たちの力を信じてプレーしているので、失点により纏まり、最後は逆転という事になったと思います。
前節の対ラッツィオ戦でも先制されてからひっくり返していますので、このままリーグも突っ走っていける雰囲気です。

結果を見てからの感想だからなと言えばそれで終わってしまいますが、その奥には、技術、戦術ではない他の何かが絡んでいるように思います。

ある失敗したプレーを傲慢なプレーと判断し注意するか、自信に満ち溢れたプレーと判断するかでそのチームの雰囲気とその方向性がで違ってくると思います。

地味なプレーを普通にやりこなすのと一生懸命やってこなしているプレーも同じプレーだけれどその意味は違ってきます。

監督が傲慢なプレーと判断し、それを失敗すれば、そのプレーヤーは2度とそのプレーをしないようになるでしょう。
しかし、自信に満ち溢れたプレーを失敗したと監督が判断したら、そのプレーヤーはもう1度そのプレーをトライするでしょう。

1つのプレーを監督とプレーヤーがどう評価するか、どう考えるかでそのチームの雰囲気が変わるような気がします。

一番良いのは、各プレーヤーが謙虚にそして自信に満ちたプレーをしてくれることです。
しかし、この雰囲気を作ることは、簡単ではありません。

一歩間違えば、自信に満ちたプレーも傲慢なプレーと判断されてしまうし、実際に傲慢なプレーかもしれません。
謙虚なプレーもただ一生懸命やっているだけで、試合のポイントを掴んでいないことになることもあります。

そう考えると、普段の監督の一言一句の奥にはとても重要な意図が隠れていると監督は認識しなくてはいけないでしょう。

これは、人をまとめる立場の人すべてに言えることでしょう。

アンチェロッティとガットゥーゾ監督の違いを感じました。










コメント

人気の投稿