特技と言葉

無事、アメリカ遠征が終了した。

今日は休みで、明日から11日の練習試合(レアルマドリッド戦)を挟んで、19日からリーグが始まるための練習が始まる。
初戦が、GENOA 、そしてNAPOLI、ROMAと続き、そして国際試合日でリーグは中断し、選手は代表チームに戻り、またリーグが再開する。
このような予定で10月も、11月も 選手はミランで3~4試合やっては、代表に戻るという事になる。

初戦のGENOA戦はとても重要だ。勝てる相手に確実に勝つ。でなければ3連敗になってしまう可能性が高くなる。

今回のアメリカ遠征でミネアポリスのサッカークラブでAT(アスレティックトレーナー)をやっている日本人の方に会う事が出来た。
彼は、両親の駐在でアメリカに生まれて育ったと言っていた。最終国籍をどちらにしたのか分からないが、奥さんもアメリカ人で 4歳の子供がいると言っていた。
アメリカ生きていくってすごい事だと思った。

私の鍼灸学校時代の同級生の西尾 嘉洋君が ATALANTA BRAVESでトレーナーとして頑張っているが、その彼のお子さんもATとなって活躍しているようだ。

我々のような日本で教育を受けた者が海外で働くには、言葉を征服するか、それとも誰にも負けない特技を持つかのどちらかが秀でないとやっていけないと思う。

そして、この両方ができる人がスーパースター的な存在となれるのだろう。

今回の遠征では、チームにおける自分の存在感はバッチリ確認できたが、相変わらずみんなの会話についていけない。
仕事の話から外れると全く分からない。1日中スタッフ、選手と一緒に過ごすので サッカーや医療の話だけではなく世間一般の話が中心となる。
それに加えて教養を試されることもあるが、言葉が分からないと言って逃げてしまうこともたくさんあった。

特に日本文化の説明には、教養もないうえに言葉を知らないから説明しようがない。
これで20年が過ぎてしまった。

一体20年もの間、私は何をしていたのかと思う。 自分自身は一生懸命やっていたつもりだけど、結果はこのありさまだ。

唯一の救いは、クラブ内に私1人しか日本人がいなかったことだろう。

そして、チーム内で私が鍼を使うということに対してドクターはじめ、同僚、選手に違和感が無くなったことだ。これは大きい事だ。 イタリアではドクターしか鍼を打てない。

この信用さえ勝ち取れれば、日本ではただの普通の鍼灸師の私でもこちらでやっていけるという自信はついた。

ミランに来た当初とは、私の実力(経験といった方が正しいかも)が上がったことは今回の遠征で感じた。

特に、膝痛を抱える選手に対してこの20日間 足首のROMの回復と筋力アップをテーマに治療を続け、最後の試合には15分ほどだが試合に出れたことは、ドクターからの信頼を得て、そして私の重要な経験となった。

私の昔を知っているのは、用具係のダニーロとベルルスコー二の専属料理長のミケーレ(海外遠征には彼が帯同することが多い)だけだ。

先日、ある選手から遠藤は、言葉の学校に通ったのか? どうやって言葉を習得したのかと聞かれたから私は、こう答えた。

「5年間何もしゃべらずにしたすら水くみをしていたよ。それから5年は一生懸命マッサージしていたよ。それから少しづつ話すようになったんだ」

と答えたら なぜか選手に受けてしまった。

私自身、本気で言葉を勉強しようと思ったことはあるけど、来年の契約もどうなるか分からない(単年契約だったから)ので来年に備えて何かをやらなければと考えたが、言葉を勉強しなけれとは思わなかった。

ただ、語学は、勉強しなければ上達しない事は20年経ってよーく分かった。














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