人と違うということ

今日、新しい監督が来た。と言ってもつい昨年まで、選手として我々と一緒にやっていたから、違和感はない。

しかも、監督自身から、我々に再会のあいさつに来たりしたから、こちらとしては、変わってないなと感じたし、相変わらず人を差別、区別しない。それが、いい感じだなと思った。

彼は、選手時代は、いかなる時でも理路整然としていた。

ある選手は、彼を名前で呼ばず、オバマと呼んでいた。
最初は、ただ単にふざけて呼んでいるのかと思っていたが、彼は、まじめにオバマだと言っていた。深い意味はないと言っていたが、説明されると彼が普通の人間ではないと納得してしまった。

一昨日まで選手として、プレーしていた選手が、今日から監督業するなんて普通じゃないと思うが、彼は、普通じゃないから、これで良いのだろう。と言っていた。

監督経験がない彼を不安視しているような記者がいるが、彼は、数年前からグランドで監督業をしているので、ただ選手を辞めただけで、何も問題ないと私は思う。

これは、彼からしてみれば、極普通なのだろう。

むしろ、そんなくだらないことを言っていること事態が、彼からしてみれば、次元が低いというか、世間一般的な物の見方しかできていないと思っていると思う。

ここACミランは、普通の人が、普通にサッカーをやるところではないのだ。

普通じゃない! 普通では絶対にしないこと、できないことをあっさりしてしまうところが、ここACミランなのだろう。

我々日本人のように訳の分からない先生に普通が一番という教育を受けてきた人間には、彼のような行動、思考は、理解できない。
理解出来ないだけではなく、それを否定してしまっているようでは、すごい選手、人間は育たない。

私も同僚からイタリアでは、異端児的に思われているところがあるが、日本に帰ってからは、もっと言われるのだろうか。

でもこれが、私だからどうしようもない。ただ、クラーレンス シードルフとは、次元が違うのだろうけれど。




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